こちらバーベキュー大会の様子です。(写真をクリックすると大きく表示されます)
こちら二人会の様子です。(写真をクリックすると大きく表示されます)
2017年5月21日(日)9時30分に町会会館に集合して、24名の参加で実施しました。
神田すずさんの説明内容を出来るだけ記載します。【 】には、ゆかりの人々のエピソードが書かれています。
しかし、我々の町会から本当に近くに、まだまだ知らないことがたくさんありますね。
講談師紹介
神田すず(かんだ すず)
講談協会オフィシャルウェブサイト
0.9時30分町会会館に24名が集合。これから出発です。
1.柳島妙見山法性寺
室町時代1492年創建。北辰妙見大菩薩をご本尊として祀っています。この北辰妙見大菩薩の北とは、
つまり北斗七星を神格化したもので、北の空の常に同じところにあって、人々を導いています。
変化の中にあって、常に変わらない存在を求めるのは、昔も今も変わりませんね。
【葛飾北斎】 師匠のところを破門され筆を折ろうとしたが、妙見堂に21日間参詣して願掛けをする。
満願の日、落雷で気を失うが、気が付いたら絵が描けるようになって、めきめきと売れ始め
ました。
【中村仲蔵】 歌舞伎役者。仮名手本忠臣蔵の五段目、もともと野暮ったいどてらの山賊姿の小野定九郎を
演じる上に、全11段ある中、五段目はちょうど昼飯時で客席で弁当を食べて舞台を見てい
ない時間。そんな中村仲蔵が妙見堂に参詣して満願の日、法恩寺のそばで急ににわか雨に降
られ、食べたくはないが蕎麦屋に入りました。そこに、ずぶ濡れで黒の紋付を着たお侍が入
ってきて、濡れた傘を振り払う姿を見て、小野定九郎を黒の紋付で真っ白なお化粧姿という
扮装に変えて一気にスターにのし上がります。
文化部のYさんからクイズです。
法性寺は横十間川と北十間川の交わるところにあります。この北十間川から南側手前(我々の太平四丁目側)
は道路が南北に直角にあり、北十間川の北側は道路が斜めになっています。何故でしょう?
(答え)北十間川の北側は陸で、手前は海だったため、埋め立てて直角の道となったそうです。その水路の残り
が横十間川、北十間川だそうです。
2.春慶寺
江戸はじめに創建。普賢菩薩をご本尊として祀っています。もともとは、百済(くだら)の国(今の韓国)
の王様が夢に見た姿を自ら像にしたもので、これが海を渡って日本に来て、飛鳥時代に聖徳太子に渡ったと
されています。これを元にして普賢菩薩となっているそうです。白い象はインドでは仏様のお使いとされ、
牙が6つあり、目、耳、鼻、舌、口、意を表し、白は正常を意味する六根清浄の開運の守り神です。
2-1.こちらも春慶寺
【四世 鶴屋南北】東海道四谷怪談を作った人。江戸の後期に亡くなっています。昔の墓石がガラスの中に
入っています。
2-2.こちらも春慶寺
鬼平犯科帳では、親友の岸井左馬之助が寄宿しており、俳優の江守徹が演じたことで、彼の名前も書かれ
ています。(写真だと小さくて見えないですね)
3.(鬼平情景1)静岡の横須賀藩、西尾隠岐守下屋敷。
大名は上・中・下屋敷を構えており、殿様は上屋敷、隠居などして中屋敷にそれぞれいるが、下屋敷は普段
は使用しておらず、留守番役のもとに、良くない人たちが集まってきて博打場や盗人宿となることがたびた
び出てきます。
4.能勢妙見山 東京別院(正式には「妙見山別院」という)
能勢頼直の代に江戸の下町本所に下屋敷を賜ったため、243年前の安永3(1774)年に、屋敷内に北辰妙見
大菩薩のご分体をお祀りしたのが始まりです。最初に訪れた柳島妙見山は千葉一族が信仰し、この能勢妙
見山は能勢氏が信仰したものです。
※この日は特別に開けていただき、また直接ご説明もしていただいた、ご住職に一同感謝申し上げます。
【勝海舟】子供の時に犬に噛まれて生死をさまようも、父親が日参して命を取り止めました。そのように、
勝海舟親子の熱心な信仰を得ていました。
5.(鬼平情景2)高杉銀平道場
鬼平と岸井左馬之助の二人の若かりし頃、高杉道場の龍虎と言われていました。
6.法恩寺
室町時代1457年、大田道灌により創建
平河山法恩寺とあるように、もともとは、平河町(千代田区)にありましたが、元禄時代にこの場所に引
っ越してきました。
6-1.こちらも法恩寺
【大田道灌】大田道灌といえば、山吹の伝説が有名です。
都電で早稲田の手前の面影橋あたりの場所で、大田道灌が鷹狩りの時に急に雨が降ってき
たために、近くのみすぼらしい農家に蓑を借りにいきました。出てきた娘はそっと山吹の
花を差し出しました。蓑を借りているのに山吹を差し出された大田道灌は怒って帰ってし
まったが、あとで家来にその意味を知り、自分の無知を恥じました。
「七重八重花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞかなしき」
山吹は実をつけないため、「実の」と歌ったものだが、娘は学があり「蓑」に置き換えて、
我が家は蓑ひとつすらないのですと、山吹で伝えたのでした。
そんな道灌も次のような歌を読んでいます。
「わが庵(いほ)は松原つづき海近く富士の高嶺をのきばにぞみる」
わが庵とは江戸城のことであり、せまっている海岸の松原や、富士山が一望できたようです。
現在の日比谷あたりは海だったんですね。
7.町会会館に戻って、ランチのお弁当を食べた後に、神田すずさんの講談を聞きました。
演目は「柳沢昇進録 お歌合わせ」で、戦国時代とは違う武士の昇進のお話しです。
軽快な語りでとても楽しかったです。神田すずさん、どうもありがとうございました。
講談師紹介
神田山緑(かんださんりょく)
講談協会オフィシャルウェブサイト
1.好天の中、30名の参加者により両国駅まで移動。ここから散歩ラリーが始まりました。
2.旧安田庭園です。安田財閥の祖である安田善次郎が所有していたことから庭園の名前になっています。
3.復興記念館で、関東大震災や東京大空襲の資料を見学しました。
4.野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)は、相撲の神様として野見宿禰を祀っている神社です。
5.今回お世話になった永谷さんの演芸場である「お江戸両国亭」です。円楽一門の公演などが行われてます。
6.両国公園内に「勝海舟生誕の地」の碑があります。ここで少し休憩タイムです。
7.本所は芥川龍之介が幼児時から少青年期までの大事な時期を育んだ場所で、ここに文学碑があります。
8.ご存じ「吉良邸跡」です。討ち入りの日に雪が降っていたというのは講談師が作ったもので、本当は雨だったそうです。物語を面白くするためだそうで、「講談師 見てきたように嘘をつき」のゆえんだそうです。
9.「相撲写真資料館」という小さな小さな博物館です。
10.旧国技館は回向院の境内の中にあったそうです。現在、回向院の隣のビルの床に当時の土俵があったことを示しています。(右側写真の丸くなった部分。大きさは盛り土も含めたもので、実際の土俵より大きいそうです)
11.回向院の中に入って、力塚と鼠小僧治郎吉の墓です。鼠小僧治郎吉は、当時10両盗んだだけでも打ち首の刑になるところを、なんと三千両も盗んだそうです。そんなことからか、墓のとなりには天敵の猫塚がありました。
12.散歩ラリーの締めは両国橋のたもとの歌碑です。日の恩(おん)や たちまち砕(くだ)く 厚氷(あつごおり) と読むそうです。作者は赤穂浪士の大高源吾だそうで、積年の厚く張った氷が、たちまち融けて、赤穂浪士一同の本懐をとげた気持ちが歌われています。
13.町会会館に戻ってきて、用意されていたお弁当で昼食をとってから、本日一緒に散歩をした神田山緑さんの口演に耳を傾けました。とてもわかり易く語られたので、大変楽しいものでした。みなさんも機会があれば是非講談を聴いてみてください。
当日は快晴の中、町会会館8時30分集合。大人17名、子供6名が車4台に分乗し水元公園に向かいました。
会場はケヤキ林に囲まれた木陰のなかで素晴らしい環境で、楽しくバーベキューやスイカ割りを楽しみました。
帰りは熱中症や突然の雷雨のことも考慮し午後1時に後始末にかかり、午後3時に町会会館で解散になりました。
参加大人21名、子ども9名の合計30名で鎌倉へ行ってきました。秋晴れの中、ちょっとだけコースはきつかったけど、秋の山と海を巡り、みんなで楽しい一日となりました。
日時 :平成26年11月16日(日)7:00 町会会館前集合 14:00頃 現地解散予定
行程 :錦糸町駅 → 北鎌倉駅 → 建長寺 → 半僧坊 → 勝上展望台 → 大平山(159m) → 天園休憩所
→瑞泉寺 → 鎌倉宮(縁結びパワースポット) → 鶴岡八幡宮(厄除けパワースポット) → 解散
参加費:大人1,000円 子ども(中学生以下)500円(弁当代、交通費、建長寺拝観料、保険代含む)
申込は締め切らせていただきました。
太平四丁目町会では年間を通じ、様々な行事を行っていますが、その中で、町会活動にご協力頂ける若い会員の方が 年々増えている事は、とても嬉しいことだと感じています。
そこで、この若い力を結集し、さらに町会活動を盛り上げていくために、太平四丁目青年会 通称『パシフィック4』が発足しました。
会員相互間や、町会にお住まいの方とのコミュニケーションに、若いパワーをパシフィック4の活動を通じて発揮しませんか。参加をお待ちしています。
募集要領は下記の通りです。
応募資格 : 18歳から60歳未満の太平四丁目町会会員(高校生を除く)
応募方法 : 当ホームパージのトップページ→お問い合わせフォームよりご連絡ください。
活動(予定): 1.町会活動参加(もちつき、祭のお手伝い等)
2.主催行事(懇親会、ディキャンプ、スポーツ大会等)
3.青少年育成(BBQ、模擬店、子ども会行事お手伝い等)
4.他団体との交流
5.会議(総会、定例会)
2014年7月19日(土)学校の夏休みの始めの日に、都立若洲キャンプ場において、親子BBQ大会を開催しました。参加者は大人20名、子ども11名の総勢31名で、午前10時に町会会館前に集合し、車7台に分乗して若洲キャンプ場へ向かいました。
キャンプ場では、3箇所の特設カマドと持参コンロ3台に火を起こし、持参テント5張を豪快に展開し、正午頃から持参テーブルを椅子で囲み、各カマドで焼き上がったバーベキューをお腹一杯食べかつ飲み、自然を堪能しました。
食後、子どもたちは空いているキャンプサイトで自由に遊び、スイカ割りゲームなどを楽しみ、午後2時30分頃 料理用具の熱が冷めたところでお開きになり、午後3時頃町会会館前で解散となりました。